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尾身茂の若い頃は?イケメンだった?留学や剣道を嗜んでいた!

尾身茂の若い頃は?イケメンだった?留学や剣道を嗜んでいた!

新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長尾身茂さん。

若い頃はもしかしてイケメンなのでは?

と思った人も少なくないのでは?

現在でもすらっとした身長が素敵ですよね。

「尾身茂の若い頃は?イケメンだった?」と題しまして尾身会長の若い頃について調査をしてみました。

目次

尾身茂の若い頃は?

尾身会長の若い頃はどんなお姿だったのでしょうか?

出典:自治医科大学

こちらは尾身会長の大学の卒業アルバムの写真だそうです。

なっちゅん

ちょっと今と雰囲気が違いますね。

残念ながらこれ以上若い頃の写真は見つからなかったのですが…

実は尾身会長は大学時代は医師になる気はなかったんだそうですよ。

高校3年生の時にアメリカ留学をしていたこともあり、東大の法学部に入って外交官もしくは商社マンになると思っていたようなんですね。

1968年の夏、帰国してみると日本中が学園紛争で騒然としており、受験しようと思っていた東京大学の入学試験が中止となり、慶応大学法学部に入学することになった。ところがその慶応大学でもストライキに入り、反権力、反体制が声高に叫ばれる中、「商社マンや外交官」などと口にすれば「人民の敵」と言われかねない雰囲気であった。青春の彷徨の始まりである。ゲバ棒を持ってデモに参加するという気分にもなれず、さりとて「ノンポリ」に徹して勉学に打ち込むこともできず、徐々に大学に通う回数が減り、通学途中渋谷で下車して、某書店に入り浸り、哲学、宗教、人生論などの本を漁る日々が多くなっていった。

引用元:自治医科大学

時代が時代でまさにジブリのコクリコ坂の時代という感じでしょうか?

大学内で紛争やストライキがあるなんて今では信じがたいですが学生運動が盛んだった時代の話だったんでしょうが、尾身茂さんもそうだったんですね。

外交官や商社マンを夢見ていた尾身茂さん、本屋さんで「わが歩みし精神医学の道」という本に出合ってから医学部を目指そうと決めたんです。

お父様からは大激怒されたそうですがお母さまに仲裁により医学部を受験して見事合格されたようです。

なっちゅん

医学部を受験したいといって大激怒するというのが信じられないのですが…

自治医科大学の地域医療という言葉と学費が無料というのに惹かれて自治医科大学に決めたそうですよ。

もし、このストライキなどがなく、普通に東京大学の入試が行われていたら尾身茂さんはWHOのリーダーになることも、コロナ感染の対策に関わることなどなかったんですね。

尾身茂の若い頃は剣道をしていた

尾身茂さんは中学・高校時代に剣道をやっていたそうです。

小学校の頃にも近くの道場で竹刀を執り、この頃から小手面などの連続うちの感覚を身に着けたそうです。

しかも、63歳の時に半世紀ぶりに剣道を再開しているというので驚きですね。

なっちゅん

なぜ、剣道を再開したのでしょうか?

実は、海外で仕事をしていた時に、衛星放送でたまに放送されるNHKの放送を楽しみにしていたそうです。

昭和の剣聖とされている持田盛二範士の在りし日の姿。

当時70歳を超えていた持田範士の修業を重ね歳を経たなりの剣道をみて「剣道にはそんなに奥深い境地があるのか!」というのを目の当たりにし、まさに目からうろこが落ちたそうです。

日本に帰ったら剣道を再開しようと心に決めたそうですよ。

尾身茂さんは若い頃留学をしていた

先ほどのエピソードにもちらっと出てきましたが、尾身茂さんは高校3年生の頃に一年ほど留学をしていたようです。

AFS(アメリカンフィールドサービス)の交換留学生として、ニューヨーク州のポツダムにある高校へ留学をしていたようです。

渡米した現地のデモンストレーションとして剣道を披露したこともあるようですよ。

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この記事を書いた人

テレビが大好きな主婦です!

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